Neetrino跡地
ただの廃墟
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【全局面的】チラシの裏的な何か【超暴論】
はい。
こんばんは。
Dです。

こういうの久しぶりな気がしますね。
Gvと関係あるようなないような微妙な記事です。

全局面的戦闘としてのGvというキーワードについて
自分の中で整理しきれなかったので
思考の整理がてら、書いてみます。
めっきりお酒に弱くなったので勢いで書いてますが、
恥ずかしくなったら消します。

まず皆さんはGvをどういう位置づけでとらえてますでしょうか?
頑張ってやってると、ご両親から怒られたりするのでしょうか。
それとも、分かっちゃいるけどやめられない的な存在なのでしょうか。

根源的な質問です。
Gvは、純粋に人生にとっての害悪でしょうか?
自分が思うに答えはNOです。

勉強でも、仕事でも、趣味でも、半端にやるのが一番いけません。
そこに自分がいて、本気で向き合うべき他者(価値観)があるのであれば
どんなジャンルであっても変わらない意味があるのです。

確かに効率という考え方をするならば
ゲーム世界で何かを成し遂げるより
現実世界で同じ労力を注ぎ込んだ方が良いでしょう。
でも効率性を差し引いても、なお無駄ではありません。
それは、そこに自分がいて、向き合うべき他者がいるからです。

Gvを他者と戦う遊びだと思っている人がいますが
そうではありません。
まずあるのは自分であり、自分の在り方です。
友好勢力にいる他者は働きかけを行い高めあう存在であり
敵対勢力にいる他者は、自軍の成果を評価してくれるありがたい存在です。

現実世界よりも構造は単純化されていますが、
根っこの部分は現実世界と何も変わるところがありません。
複雑な要素がないだけに人という要素が浮き彫りになります。

戦場にあるのは
単純化、極小化された現実世界にほかならないのです。
実際の年齢、性別、職業に関係なくすごしているように見えますが
あなたの魂の在り方まで変わることはありません。

例え、ネカマであり、ネナベであったとしても
あなたの側面の1つが強く出ているに過ぎず
あなた自身と全く関係ない何かが作用していることはありません。

自分を知り、他者を知り、それらと向き合う。
これが突き詰めたところのGvの本質です。
自分の内容も日々の積み重ねで一日一日変化していきますし、
自分を取り巻く他者も変化を重ねます。

極論してしまえば、
Gvのための取組も、仕事も、勉強も、
自知、他知という見方をすれば同じ意味、価値観となります。

だからこそ
ゲームのシステムに左右される戦術からの思考ではなく、
人的な要素の強い戦略からの思考をみんなに勧めますし、
この言葉の使い分けにもこだわっているのです。

極論ついでに言ってしまえば
良い人生をデザインするからこそ、
良い仕事、良い勉強、良いGvが
デザインできるのではないだろうかと思うわけです。
仕事をする自分、勉強をする自分、風呂に入っている自分、Gvをしている自分。
それは全て同一の人間であることは疑いようがありません。
全局面戦闘としてのGvというと
日曜120分以外のROの活動の充実というのは
誰しもの頭に浮かぶところですが
究極のところはそうではありません。
主体的な意志、活動的な肉体を持った人間が
自分を高め、他者と関わるために取る一手段がGvであってほしいと思う次第です。

今、自分の関心事は
このテーマをどこまで可視化し、
どこまで普及させていけるか、というところにあります。
本質的に強い人間、強い組織というものは
どうすれば組成できるものなのか。

自分にとって強い意味を持つ課題について
『全局面的戦闘としてのGv』という言葉を借りて説明を試みたんですが
自分でも途中で分からなくなってて結局誰にも伝わってないクマー( ^ω^)

うん。
何かまとまってきた気がする(*´∀`)
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